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建築ジャーナル 寄稿 
2014年〜
2019年 9月号

大人の遊び場「如春荘」
  …幸せになりたいから、まちを幸せにしたい…


 設計者の生き様が建築に映るとすれば、学生時代に建築とともに熱中したボランティア活動の影響は少なくないはずだ。他大学との交流で、福島大学で夜半まで語り合った頃が懐かしい。時が流れ、その近くで設計事務所を営む事になるとは、当時は予想もしなかった。
 福島大学経済学部は1981年郊外に移転するまで現福島県立美術館敷地にあった。その向いに残る如春荘(じょしゅんそう)は当時をしのぶ数少ない場所だ。
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http://www.kj-web.or.jp/gekkan/2019/1909.html

2019年 6月号

 「原発事故の町を行く」
  …大熊町復興公営住宅…


 東京京電力福島第一原発立地町で始めて、4月10日一部地域避難指示の解除がされた大熊町に行く。
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 桜吹雪の福島市から100km(直線距離60km)の大熊町へ向かう。途中の阿武隈高地ではしだれ桜が咲き始め、山々が輝きだしていた。大熊町でも青空と満開の桜に迎えられたが、風が強く除染された農地に土埃が舞っていた。
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 前日、首相出席での新庁舎開庁式が行われていた新庁舎、その日は閉じられていた。町民が「ただいま おおくままち」の一文字をつくった正面広場、駐車場にも人影は無く、強風と周辺道路工事音が流れる。隣接する建築中の復興公営住宅担当事業者さんから避難指示区域内での建築への思いを聞いた。
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http://www.kj-web.or.jp/gekkan/2019/1906.html

2019年 3月号  「福島での木造仮設住宅建築の意義」
  …危機を越え「機会」に変える…

 大震災から8年を迎え、木造仮設住宅建築から福島の目指す
べき姿について考える。難しきテーマとしてし、全文書き直すなど苦労の一作。


 また311日が来る。東日本大震災は多くの悲しみ、苦悩をもたらした。加えて福島では東京電力原発事故による放射能汚染。あれから8年が経った。福島の復興はどこにあるのだろう。

http://www.kj-web.or.jp/gekkan/2019/1903.html

2018年12月号   「フクシマのハートブレーク」
  …サン・チャイルド騒動の行方…

 金木犀が香る中「除染土収拾・運搬の知らせ」の町内回覧が回る。8年目にしてやっと敷地からグリーンシートに覆われた除染土撤去の見通し。ここは原発事故施設から62km。除染土は我が家から地区内仮置き場へ、そして原発事故施設近くに建設中の中間貯蔵施設に運ばれる。その後の保管先は未定だ。
 このように福島市での日常は戻りつつある。県内では原発事故避難指示区域が当初の1/3となり、幹線道路が繋がり、復興住宅も建築された。しかし増え続ける汚染水、何十年とかかる廃炉作業、農・漁業問題、帰郷出来ない避難家族など未だ課題は山積み。夏の終わりに起こったサン・チャイルド騒動は今の県民心情を映していると感じた。
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http://www.kj-web.or.jp/gekkan/2018/1812.html


2018年 7月号   「個性を活かす空き家建築での試み」
  …ポジティブな福島を造りそれを発信…

 清山飯坂芸術祭」開催と、「小さな図書館のある家」改装
工事を通し、空き家利用と地域活性化を考える。

2つの試みは「空き家建築毎の個性を活かして地域を元気に」というもの。これは空き家問題と地域活性化へのヒントの1つにならないか。さらにこれらの試みにより、ポジティブな福島を造りそれを発信出来れば、7年間応援してくれた人々、県外に離れた人々へのメッセージにもなろう。建築のチカラでその後押しをして行きたいものだ。

http://www.kj-web.or.jp/gekkan/2018/1807.html

2018年 4月号   「記憶と教訓の道」
  …帰還困難区域国道6号線と114号線をたどる…

 冬の終わり、原発事故避難指示区域(帰還困難区域)を
横断。震災直後とこの7年を思う。

 時はいろいろな出来事を忘れさせる。しかしこの160kmの道はそれを思い出させる。離れ行く人との別れ、応援に来た人との出会い、がむしゃらだった仮設・復興建築業務、不安や希望そして怒り。「原子力明るい未来のエネルギー」とされた原発。人がそこに住むとは?幸せとは何だ?・・。7年間の出来事や思いが一気に押し寄せてくる。この道はそんな「記憶と教訓の道」だった。

http://www.kj-web.or.jp/gekkan/2018/1804.html

2018年 1月号   「中国シルクロードを行く」
  …砂漠に蜃気楼を見た…

 荷造りの背後で「そう言えば、昔は一緒に行こうって言ってたね」とパートナーが言う。振り払うように「これからの建築の道標をシルクロードに探しに行く」とかみ合わない事を言う。そして古(いにしえ)の道の起点長安西門を前にし、家族に掲げた旗が少し大きすぎたかもしれないと思った。
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 中国西部の西安・敦煌・西ウイグル自治区の旅を通し、シルクロード東端の日本を思う。


2017年 9月号   「五十部良一君を悼む」
  …「まぁ がんばろうよ!」農業兼業建築家の生き様…

 6月初め母校のある郡山でのエレファントカシマシのコンサートに行く。それからしばらくエレカシの「さあ がんばろうぜ!」で始まる「俺たちの明日」という曲が頭を離れなくなった。それはその数日前に交わした君との長電話のためだろう。久々の会話は携帯も熱くなったし、心も踊った。振り返れば俺たちが建築を志し、そして君に出会ってから40年が経つ。
 それにしても俺たちの4年間は愉快だった。君も俺も不器用で設計課題にはだいぶ苦労したな。君はそんな事はないと言いそうだが。俺は「建築でなく人間を学びに来た」などと嘯いたが、君はあの頃から建築に真面目でまっすぐだった。
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2017年 6月号   「建築人として胸が張れるか!」
  …ふくしま建築集団の復興公営住宅建築日誌…

西に吾妻連峰の残雪が光る、早春の真新しい住宅団地。最終買取検査も終わり、竣工写真を撮影してると共同設計者が「このグループは駐車場に外コンセントがあるんだ」と、いきなり言う。「うちもある筈だけど・・」「あったかな?」急いで確認するが、建物にも図面記入もない。「県仕様にもないし、最終検査も終わってる・・」。その時、合言葉となった「胸を張れるか」が頭を過る。僕らはこの一年、入居を待つ人達にいかに喜んで住んでもらえるかに努めた。引き渡しが7日後に迫る。
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 原発事故避難者用の3LDK木造2階建て復興公営住宅14棟と
団地内集会所1棟を建築ドキュメント。


2017年 3月号   「7回目の春」
  …新たなステージを迎えて…

 また311日が来る。5分に及ぶ激しい揺れ、直後の風雪と混乱、開かない踏み切り、津波の衝撃、原発の爆発、冷たい雨からの放射線量急上昇、ガソリンスタンドの明り、居間での寝起き、息をひそめた街、入浴のありがたさ・・を思い出させる。そして毎年、ここ福島から何を伝えるべきかを考えさせられる。
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2016年12月号   「ふくしま建築集団の行方」
  …復興公営住宅プロジェクト進行中…

 春から災害が続く。熊本の地震、水害、阿蘇山噴火、そして10月の島根の地震。自然災害が多発する国に私たちは生きている。福島では一部の避難区域解除の動きや、5年あまり使用の仮設住宅の解体が始まり、県内全域に及ぶ復興住宅の建築も進んでいる。一方、秋の味覚である野生きのこはいまだ出荷制限状態にある。県民のぶつけ様のない「わだかまり」が無くなる日はいつ来るのだろうか。
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 3月に復興公営住宅プロポーザル選定され、その後の建築
着工までの様子。
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2016年10月号   「震災後6年目の住宅建築」
  …福島での家造りの問いかけ…

 独立して四半世紀あまり住宅中心の建築をしてきたが、今でも学ぶべき事は多い。この5年半、ぶつけようのない怒りや悲しみ苦しみ、そしてむなしさを感じ、一方、人々の繋がりによる出会い・優しさ・温かさに触れる機会も多くあった。福島での東日本大震災から後は修行の中でも荒行の時期ではなかろうか。特にこの地から避難すべきかどうかという議論は僕の中で「建てて築く」という建築の根本を揺るがし、「建築とは何か」を改めて考えさせられた
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2016年 6月号   「建築家は無力なのか?」
  …福島での熊本地震への支援の広がり…

・・・そしてまた九州で大きな地震が起きた。

東日本大震災の次の日、2011312日九州新幹線が全面開通。しばらくしてその映像を見た。沿線で横断幕を掲げ、旗を振り、歓声をあげ全面開通を祝う姿はまぶしく、しばし震災からの苦悩を忘れ、元気をもらった。東日本大震災49日目の新幹線全面再開時には、自宅屋上で、九州の方々と同じように横断幕を作り、歓声をあげ祝った。その九州新幹線が414日熊本地震で止まり、一昨日ようやく13日ぶりに再開したニュースが伝わる。



2016年 3月号   「福島での5年間を思う」
  …災い転じて…

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 5年前、福島を地震・津波そして原発事故が襲う。事故直後、避難区域が3km,10km,20km圏内と拡大していく中、米国は滞在米国民に80km圏内避難指示を出した。80km圏は福島県の2/3となり隣接県にも及ぶ。私の住む地域は事故原発から61kmの位置。「県外に避難すべきか?」僕たちは動揺した。指示区域の避難者は施設を転々とし、県内そして全国へと避難した。避難区域以外からも県外避難が続き、残った市民は余震の中、原発事故の終息を祈った。福島が無くなるかも・・、命ということを思った。
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2015年12月号   「ここに生きた人間を学ぶ」
  …ヘリテージマネージャー育成講習会を受講して…

「いったい、この先どうなるのだろう。女性もいるのに・・」1957年製カーボン映写機による館主編集15分映画は昭和エロチシズムを醸しだす。大正3年築101年、ピンク色外観の木造3階建て映画館は、建物も館主も劇的だ。ここは福島市から南に30km強の本宮市、「本宮映画劇場」。
 今年から受講しているヘリテージマネージャー(歴史文化遺産活用推進員)育成講習の研修で見学に来ている。

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2015年10月号   「FOR座RESTに風を見る」
  …今の福島には日本のこれからがある… 

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原発事故では最大63千人、今でも45千人が県外に避難し、福島県への帰還はそれほど進んでいない。その中にも避難区域の人、それ以外の自主避難の人がいる。福島に残った人も、戻って来た人も、県外にいる人も、県内避難の人も、みんな震災以降の混乱を乗り越え、今なお問題と向き合い続けている。ここでは被災復興や除染が進み平静さが戻ってきた感がある。しかし震災で出来た見えない壁が風通しを悪くしている。この状況に「地元建築家は何をすべきか」の問いが頭を離れることはない。
 しかし空梅雨に一陣の風を見た。5
 年振り開催FOR座RESTは夢と感動に溢れていた。
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今の福島にはこれからの日本がある。
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 2015年 8月号
  「孫世代のために故郷を取り戻したい!」
  …避難指示区域内建築士の生き様…

 福島市郊外インターチェンジ近くのレストランにて待ち合わせる。5分前に駐車場に着くと、同時にいわきナンバーのハイブリット車が止まった。2年ぶりに見る彼の笑顔は優しい。彼は多忙だ。事務所協会の役員会で福島市に来るタイミングに合わせ、話を聞いた。


2015年 6月号   「番外編 4月、南欧の旅」
  …バルセロナ〜南フランス〜フェレンツェを訪ねて…
 
 二軒バルを巡り、夜のサグラダ・ファミリア前に立つと酔いが一気に吹き飛ぶ。ホテルに戻りベッドに入るが2時間程度で目が覚める。市内を1日中歩き回り足が悲鳴を上げ、体がくたくたのはずだが魂が興奮しているのだろうか。
 
旅先でネパールの地震の報せを聞く。僕らは戦争が終わり十数年後の高度成長期に生まれ、平安な日々を生きてきた。そして東日本大震災を福島で体験。その不条理な出来事は「後悔しない為に今を全力で生きる」ということを僕に伝える。今日、何が起きるか分からない・・その考えが新たな旅に誘う。
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2015年 4月号   「教訓としての 風土 を考える」
  …東日本大震災が語りかけること…

 震災から5回目の春。
 この間、クライアント家族が離ればなれの生活、避難先で亡くなる報せ、完成直後の避難、プロジェクトの無期延期、職人不足、建築コストの上昇等々、建築だけをみても様々な出来事があった。一方、多くの方々にご心配頂き、新たな出会いもあり、幾度となく胸が熱くなる場面があった。そして4年が過ぎる。
 国道6号線が昨年秋、常磐自動車道もこの春と、東京電力福島第一原発近くを南北に通る2本の道路が開通する。県内各地では放射性物質を取り除く除染工事が進み、地域は平静を取り戻したかに見え、災害直後ほどの悲壮感は漂ってはいない。しかし今だ福島県内への避難者が7.4万人、県外への避難者4.5万人の状況にある。



2015年 2月号   「ものづくりの本質とは」を考えさせられた
  ・・・「ものづくり」を通して「もりづくり」へ…

今、この国は環境や人口減少、高齢化等の問題に揺れている。その中で福島はその縮図的存在で、ここでの取り組みがそれら諸問題解決の糸口に成り得ると考える。
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三代続く地元建具屋さんの二代目と三代目のチャレンジの紹介。
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2014年11月号
  <特集> 木造による放射能対策住宅「ふくは家」
  …地元建築家として夢ある住まいづくりを…

ふくは家というメッセージ」
 災害以後、苦悩と自問自答の中で放射能対策住宅「ふくは家」というプランをつくり発表した。それは「放射線を避けながらも夢ある生活空間ができる」というメッセージだった。ずーと希望もなく非常事態状況では生きられないし、何より自分自身に希望が欲しかったのだ
 この秋、災害を起こした東京電力福島第一原発から2.5kmほど西を通る国道6号線が全面開通となり、避難指示区域も一部解除、また県が中間貯蔵施設計画の受け入れを了承、そして県内各地の除染も進んでいる。
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2014年 9月号   「秋の全国建築士大会、来てくなんしょ!」
  …女性建築士による放射線測定実験…

57回建築士会全国大会ふくしま大会が1024日の前後3日間、郡山市で開催される。「ならぬことは ならぬものです」の基にテーマ「建築・絆・再生」を福島の地で語ろうというものです。
 それに合わせ、ハンサムウーマンこと福島県建築士会女性委員会が「放射線対策住宅の手引き」作成を目指し、避難指示区域内に現実の住宅により近い模型「モックアップ」を作り、調査実験をしている。


2014年 7月号   「放射能対策住宅をメッセージに」
  …夢を取り戻すための烽火に…

 この春、漫画による福島の現状表現が問題になったが、福島県では原発事故以来こうしたことの繰り返しで、そのたび不安に苛まれる。誰の話を信じれば良いか分からなくなった。僕らはまるで闇の声に脅され続けているかのようだ。
 震災の年11月、ダライ・ラマ14世が福島に来た。そこで彼は「いつまでも悲しんでいるのではなく、悲しみを頑張る力に変えるべきだ」、さらに「地震・津波・放射能被害は世界の終わりではない。・・・70億人はいつも誰かしら困難を抱えている。人類はそれらを乗り越えているのだ。so don't worry」と話した。


2014年 5月号   震災後、仮設住宅集落案」などを提案、戦いが始まった
  …自分の中の建築家の殻を破ったかもしれない…

 震災以後、放射能に翻弄され、もがき続けた。そしてそれは今も続く。この福島での建築人の災害経験が、今後の非常時対応の何かのヒントになれれば幸いと思い、設計者として震災後に何を思い、行ったかを書こうと思う。
 直前に地鎮祭を行ったプロジェクトがストップするなど、震災後、事務所内各プロジェクトは軒並み無期延期となり、クライアントの避難も相次いだ。被災建築の相談調査を行いながら、避難者応援イベント等に参加した。とにかく前を見ていたかったからだ。
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2014年 3月号   「非常時に地域の設計者は何が出来るか」
  …福島市での震災から原発事故の体験…


 福島から初投稿として、この災害を伝えないではおけない。それにより地域環境が一変し、建築がいかに地域と密着しているものかを思い知らされた。そして僕らの信じる「建築のチカラ」が揺らいだ出来事でもあった。この3年はそれを取り戻す戦いでもあったはずだ。



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